こんにちは、まえだ治療院です。
今回は「エンバーミングの歴史」についてです。
映画「おくりびと」や
芸能人の壇蜜さんがエンバーミングの資格を
もっているエンバーマーであると
TVなどでも話されていたので、
名前ぐらいは聞いたことがある方もいらっしゃるかと
思います。
エンバーミングは、
遺体に防腐処置を施して生前のままの姿で
長期保存するための技術です。
日本では一部を除き火葬が99%ですが、
エンバーミングを施し遺体保存をする理由は
宗教上、教育上公開葬儀など様々あり、
土葬が基本の地域では、遺体から感染症が蔓延するの
を防止する目的もあるため、
海外でエンバーミングは日本に比べてより
馴染みのあるものになっています。
現代のようなエンバーミング技術は
15世紀頃にははじまっていたと言われ
かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチも
エンバーミングに取り組んだと言われています。
この当時のエンバーミングをする目的は
遺体を生前の姿で残すというよりは「医学の発展」
15世紀は人体解剖が盛んに行われて解剖学が発展していきました。
その献体をより良い状態で保存するための
エンバーミングでした。
静脈に調合した溶液を注入する方法が記録に残っており、
ダ・ヴィンチの研究によって作られた防腐保存液は、
ラベンダーオイル、ロジン、ワイン、テレビン油、
硝酸ナトリウム、硝酸カリウム、
樟脳、蝋が使われたと言われています。
それから何世紀もかけてエンバーミング技術は発展していき、
1775年歯医者のマルティン・ヴァン・バッチェル氏は妻のメアリー氏が亡くなったあと
友人の解剖学者に妻の遺体のエンバーミングをお願いし、
そのままエンバーミングされた妻を展示しました。
とても複雑なエンバーミング技術が使われたとされており、
1941年5月にドイツ軍の爆撃で建物が破壊されるまで、
166年間妻メアリーの遺体は生前の姿を残していました。
一般的に
エンバーミングの技術が最も必要になった出来事が、
1861年に勃発し1865年まで続いたアメリカの南北戦争です。
戦死した兵士を遠路はるばる家に送り届けなくては
ならないため、
エンバーミングの必要性が急激に高まったと言われています。
外科医のトーマス・ホームズは
独自開発の秘密の防腐保存液を1ガロン3ドルで
売り始め、当時のお金で
将校ひとりにつき50ドル、下士官は25ドルで
エンバーミングを請け負いはじめます。
やがて
その金額は80ドルと30ドルにそれぞれ値上がりし、
「エンバーミングは儲かる」という噂が広まりはじめます。
外科医や薬剤師、そうでない人までもが
戦場にこぞって集まりはじめ、
死んだ兵士にエンバーミングを施し、
遺体を遺族に届ける。
これはこの当時
エンバーミングがお金儲けになってしまいましたが、
結果的にはその後のエンバーミング技術向上にも
つながる出来事にもなりました。
まえだ治療院 院長 前田諭志